家族が癌で苦しみを抱える人。抗癌剤に頼らず自然治癒力で克服したい人へ
母にレベル4の子宮体癌が見つかった
僕の母に子宮体癌が見つかったのは2015年の暮れの事でした。おしっこに大量の血が混じった事がきっかけで検査して発覚したのです。
すでにレベル4まで進行しており、年が明けると子宮の全摘とリンパ節の除去手術を行い、癌は消滅し私たち家族はひとまずはホッとしました。
術後、医師から抗癌剤治療を勧められましたが、母は拒否し僕も母の判断に賛成でした。僕には、抗癌剤が癌以外の良い細胞までも殺してしまう猛毒で完治する人は少ないという断片的で薄っぺらい知識があったからです。
手術前と変わらない生活に戻り、母はすっかり元気を取り戻したのですが、約1年が経過した頃に家族全員が一番恐れていた事が現実に起こりました。
手術が出来ない場所に癌の転移が見つかったのです。あれだけ拒否していた抗癌剤治療を母は受ける事になりました。父からの強い説得があったからです。
結局、母の望まなかった抗癌剤治療は、母の毛髪と体力を奪ったものの癌細胞を奪う事はできず1クールが終わりました。
その後、母は階段の上り下りで激しく息切れをするようになり、家の2階に上がる事がなくなりました。
主治医から2クール目の抗癌剤治療を勧められた母は、
「もうあんな苦しい思いはしたくない」
と、抗癌剤治療を拒否しました。
ある日、母は僕に泣きながら、
「覚悟していたつもりだったけど怖いの。どうすれば良いと思う?」
と聞いてきたのですが、正直なところ僕にはどんな判断が正解なのかまったく分からず、
「自分で決めろ」
という冷たい言葉しか言えませんでした。
実際には、やはり抗癌剤治療に僕は反対でしたが、抗癌剤以外の代替え案が何も無かったので、責任回避の為に自分の意見が言えませんでした。
泣きながら母は、
「耐えられないから抗癌剤はもうやりたくない」
と言ったので、僕は
「それならそれで良い、自分が良いと思ったようにしろ」
とだけ言いました。
しかし、やむなく母は2クール目の抗癌剤治療に踏み切ったのです。
やはり父と僕の妹からの強い説得によるものでした。
僕は、父に「抗癌剤で癌は治らないぞ」と言いましたが、父は
「病院の先生が言っているんだから、先生に任せた方が良い」
と言いました。しかし、僕には父を責める気は一切ありませんでした。
面会拒否
2クール目の抗癌剤治療を受けた直後から、母は誰とも会おうとしなくなり、息子である僕や孫にさえ会おうとしなくなってしまいました。
もともと母は、自分が癌になった事を親戚にも親友にも誰にも言わないでと言っていたくらいです。
なので、最初は弱っている姿を誰にも見られたくないんだな、と僕は思っていました。
しかし、日が経っても一向に会おうとする気配が無いので、僕は何か様子がおかしいと思い、父に
「孫を連れて突然お見舞いに行けば、母さんも会うしかないだろうから見舞いに行ってくる」
と言うと、父は、
「病院には菌がたくさん充満していて、子供が何か病気に感染したらダメだから行ったらダメだ」
と、予想外の言葉を聞いた時、僕はやっと理解したのです。
「母は生きる気力を失って死ぬ準備をしているんだ・・・」
僕は、すぐに奥さんと子供を連れて無理やり病院に押しかけると、会わなかった僅かな期間のうちに、母はあっという間に骨と皮だけの変わり果てた姿になっていました。
車椅子に押されながら待合に連れてこられた母の首はうなだれ目にもまったく力がありません。
あれだけ強くて厳しかった母が、こんなにも弱々しい姿になってしまうとは・・・僕は愕然としてしまいました。
母が誰とも会おうとしなかった理由は一目瞭然でした。
こんな姿を誰にも見られたくないのは当然です。
残された猶予がどのくらいなのか、素人の僕たちには分かりませんでしたが、母をなんとかして救いたいという気持ちは、はっきりと分かっていました。
抗癌剤に代わる代替え案を一刻も早く探さなければ、母はすぐ死んでしまいそうでした。
僕たち家族は、母に無断で母の親友と親戚たちに、この時初めて母の現状を伝えると、一様に驚き皆んなお見舞いに駆けつけてくれたのです。
母も、もう観念して皆んなに会うと、それまで邪魔をしていたプライドが解けたのか、母は孤独から解放されたようにホッとした様子でした。
癌は家族も丸ごと苦しめる
母の病状はその後も悪化していき、見舞いに行くたびに病室の外にまで、母の苦しむ声が聞こえて来るようになりました。
毎回、僕は一旦足を止めて病室に入るかどうか躊躇するようになってしまったんです。
力無く苦しむ母の声は、僕の動揺を誘うには十分過ぎる力がありましたが、その度に私は気力を振り絞り元気なふりをして母の病室に入って行ったのです。
癌は、本人だけでなく家族も丸ごと苦しめるんだと僕は知りました。
ちょうどその頃、無情にも医師から「余命2ヶ月」と宣告されてしまったんです・・・。
僕は、苦しむ母をなんとか救ってやりたい一心で、医療に頼らない抗癌剤に代わる治療法は何かないものかと、毎日ネット検索していると、ある自然治癒の理論を知りました。
「7日間で癌が消滅した」という例もあると書いてあり、僕の中で「まだ間に合うかも知れない!」と高まる気持ちを冷静で醒めた自分が抑えながら、その理論の信憑性を確かめるため数日かけて精査したのです。
生きる気力を失った母に希望を持たせられる理論であってくれという期待を持って、僕は調べ尽くしました。
その結果、その理論の信憑性は高いと判断した僕は、その理論について母に話してみたんです。
すると、母は「もう苦しいから抗癌剤はやりたくない。それを飲んでみたい」と言いました。
その自然治癒力を上げる理論というのは、あるものを飲むだけだったんです。
僕は、意欲的に母も飲んでみたいと言うとは思っておらず、さっそく母に飲ませてみる事にしました。
とは言え、医師の宣告が正しければ、母に残された時間はあとわずかしかありません。
すでに母の余命は1ヶ月を切っていたのです。
その飲み物の理論を知っていくうちに、大きな可能性を感じられるようになり、何よりもその飲み物は母に希望を与え格段に母の生気が戻ったんです。
僕は、もしかしたら母に奇跡が起きて、母の病状が回復するんじゃないか?と期待して、毎日母にこの飲み物を届けました。
そんな僕の願いは及ばず、飲み始めてから12日後に、家族に見守られながら母は息を引き取りました。
生きる気力を失っていた母に、希望を持たせられた事は幸いでしたが、飲ませるのが遅すぎた事に対しては、やり切れない気持ちが湧いてきました。
もっと早くに、その理論を知ってその飲み物に辿り着いていたら、母はきっと助かっていた・・・という思いが次々と頭に浮かんできたのです。
最終的に母は、医師の余命宣告通りに死んでしまったのですが、母の死後、僕が母に飲ませた物の理論は間違っていなかったんだと分かる出来事がありました。
自然治癒力の効果
僕たち夫婦は、母に試した自然治癒力を上げる、その飲み物を自分たちでも飲むようになりました。
飲み始めた一番の理由は、2年前に母の癌が発覚した頃から続いていた、僕たち夫婦の疲労感と心労を回復させたいと思ったからです。
その飲み物は、癌が消滅したという例だけでなく、睡眠の質が良くなる効果や疲れが取れる効果があるらしいからでした。
飲み始めて1ヶ月が経つ頃に、僕たち夫婦揃って明らかな目に見える効果がありました。
その効果というのは、僕たち夫婦2人の顔にあった大きなイボが消滅した事。
僕の背中に30年以上前からあったニキビ痕が消えてしまった事。
妻のお尻にあった吹き出物が無くなりキメが細かくなった事。
もちろん、疲れも格段に消滅していたのですが、それは時間薬が効いただけかも知れないと半信半疑だったんです。
睡眠の質の改善も、この時にはまだ分かりませんでしたが、睡眠時間が短いはずなのに、目覚めが良く疲れも残らないという事は、睡眠の質が良くなったんだと今では実感しています。
イボやニキビ痕や吹き出物のような目に見えていたものが消滅したとなれば、その飲み物が効いたとしか考えられないのです。
その他のことは何もやっていませんでしたし、日頃と何も変わらない食べ物を食べていないのですから。
しかし僕は、ニキビやイボは体の中に出来れば、それは癌だという話を思い出したんです。
そのニキビやイボが消えたという事は、母の癌にもやはり効果があったのでは・・・
と、さらにやり切れない気持ちになってしまったのでした。
そして、僕のそんな気持ちに追い打ちをかけるように、こんな話も聴いたんです。
友達の母親が2年前に末期癌なり、手術と抗癌剤治療をしたのですが効果が一切無かったそうなんです。
それどころか、2クール目の抗癌剤を受ける体力も残っておらず、余命宣告3ヶ月と告げられた挙句、入院していたその病院からも追い出されてしまったと言うのです。
その後、その友達の母は僕の母に飲ませていたのと同じ飲み物を毎日飲ませ続け、無農薬野菜を中心にした食事にすると、どんどん体重が戻り2年経った今ではスポーツジムにも通っている、という話をその友達から直接聴いたのでした。
ほとんど僕の母と同じ病状で辿った経緯もそっくりだったんです。
もっと早く飲ませてやる事が出来れば、僕の母も回復したのではないか・・・と思わずには居られなかったんです。
しかし、どれだけ後悔しても、僕の母が生き返る確率は0%なのです。
僕は、そんな無駄な事に意識を向けていたくありませんでした。
現在でも、あの辛い時期の事は鮮明に思い出す事が出来ます。
それでも今は、母が末期癌だと診断されてからの、あの苦しかった日々や経験は、僕の人生にとってとても貴重な体験ができたとさえ思っているんです。
なぜなら、人を思いやる気持ちと感謝する気持ちが今まで以上に増したからに他なりません。
辛くて暗いあの谷底を知ってこそ、今ここにある「日常の幸せ」に敏感になる事が出来たのだと思うのです。
もし、あなたやご家族の誰かが苦しい思いをしているのであれば、僕の綴るこのブログの記事の1つ1つに目を通してみて欲しいです。
母に飲ませていた、飲み物の正体もすぐに分かります。
あなたが抱えている、何かしらの苦しみを乗り越えるヒントを見つけられるはずです。
僕と同じような境遇の人には、僕と同じ虚しさを味わって欲しくはありません。
同じ苦しみを経験した人でなければ分からない事だからこそ、僕にできることは、僕自身の体験や経験や考察した事をここで綴っていく事だと感じています。
あなたが気になると感じた記事だけでかまいません。
この中にある記事の1つでも、あなたが抱える苦しさを抜け出せるヒントや、そのキッカケや行動を起こす為に必要な勇気に繋がれば幸いです。
還元くんの正規代理店になった経緯
僕は、母が死んでしまった今もなお、癌についての知識を深めながら水素茶を毎日2リットル以上飲み続け、身を以て水素茶の効果効能について日々実験し続けています。
それは、別の記事でも詳しく書いたのですが、僕たち夫婦のイボや吹き出物が消滅した事で水素茶に興味を持った事が一番大きい理由です。
どれだけ頑張って水素茶の事に詳しくなっても僕の母が生き返る事はないので、母のためにではなく僕たち自身が母のように癌にならないためにも自分たちの健康に意識を向けたという訳です。
しかし、僕は母に親孝行を一度もする事ができぬまま、母を癌で亡くしてしまった経験者として、僕と同じような想いを持っている人たちの力になれる、という気持ちの方が今は大きく上回っています。
僕の経験した母を癌で亡くした話と、僕たち夫婦が水素茶を飲み続けて身を以て実感したことを、僕たちの友達や知人に話す機会があると、僕たちの友達や知人や友達の友達たちが、還元くんをネットで購入するようになりました。
しかし、ある時、見分けのつかない還元くんの偽物が出回っているという話を知って、友達たちに確認してみると、偽物の還元くんを購入してしまった友達がいたんです。
それからです、僕が正規代理店になってしまえばこうした問題が僕の周りでは起こらないと思い、還元くんの正規代理店になる事を決めました。
1日でも早く水素茶を飲ませてあげたい、という家族が居れば力になりたいと思っています。
僕から還元くんを購入しなくても良いので、還元くんを手に入れて欲しいと心の底から思っています。
ただ、もしあなたが還元くんを購入したいと思った暁には、必ず還元くんの正規代理店で購入するようにだけは気をつけてください。
先ほども触れた事ですが、偽物が出回っているという話ともう1つは正規代理店で購入しないと保証が付いていない、という理由からです。
保証というのは、万が一還元くんが割れてしまった時には、割れた還元くんと新品の還元くんを交換してくれるという保証です。
還元くんは割れやすく実際に僕の妻は1本割ってしまった当事者です。そんな時には保証期間内であれば正規代理店で購入していれば交換してもらえます。
もし、僕の記事を読み還元くんに興味を持ち、僕から還元くんを購入したいという場合は、ささやかですが僕から還元くんを購入してくれた方限定の特典をお付けしています。
↓
僕から還元くんを購入してくれた方には、僕と同じように家族の誰かが癌になってしまった人であれば、気持ちが痛いほど分かるのでお話をお聴きする事もできますし、肌のトラブルを改善したいという人であれば、肌に良い水素茶の飲み方についてもアドバイス致します。